被災地へ善意の気持ちだと言って支援物資をわざわざ買って届けるのは上から目線で自分がいい事をしたと思いたいだけでしょ。
こんにちは。ゲームブック投稿サイトの管理者です。
3月11日が特別な日になってしまって5年経過したんですね。
この日が近くなると各テレビは「被災地は大変」「復興道半ば」と言う報道を繰り返しますが、上記で糸井重里さんが指摘しているとおり、被災地の方は迷惑してます。
「8割復興した」ことを、なぜこんな暗いトーンで取り上げる必要があるのか。「頑張って頑張って8割まで復興した。さらに未来へ頑張ろう!」的なトーンでなぜ取り上げられないのか? 自分がその町で5年間頑張ってきていたら、そうしてほしいと思わないのか?という趣旨です。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2016年3月11日
ちきりんさんもTweetで上手く解説してくださっています。
被災地の方の気持ちを慮るのは大切なことですね。
なので、今回は多少の批判を覚悟して、「支援物資を被災地に送る」と言う事に反対したいと思います。
目次
反省が生かされていない
悲しいことに日本は地震大国です。3月11日の被害が甚大だったことは事実ですが、同様に悲惨だったのが阪神・淡路大震災です。
この時も全国から支援物資が被災地へ送られましたが、被災者の方々が必要としているものではなく、あくまで送る側の判断で様々なものが送られました。
結果として物品を確保する倉庫など不足し、また必ずしも必要なものと一致しないため大変困惑したという状況でした。
そのため、結局現金が一番無難だと言うことが改めて判明したのです。
無論現金も分配や使用用途などで揉める事もあるので万全ではありませんが、数ある支援の中では送る側も貰う側も一番費用対効果の高い手段です。
そして311
当時筆者は会社勤めでした。
会社の上層部は被災地に物資を送る事を決めました。
筆者は阪神・淡路大震災の反省を知っていたので、募金活動の方がいいと思いましたが会社の決定事項には逆らえません。
正直、気が進まないのですが実務に当たりました。
様々な方が支援の物資を下さいました。純粋に被災者を救いたいと言う気持ちからだと筆者は思いたかったです。
でも基本はみなさん、「いらないもの」を提供するんですよね。
年配の方用のおむつ、一箱ほど。自分のおばあちゃん用に買ったものだけど亡くなったのでいらないから提供すると。
おむつなんて男女・サイズもあるのに上手いこと被災地の方々の需要に合致するのか筆者には分かりませんでした。
別の型は「雑巾だ」と言って古い衣料品から縫い合わせたものを提出します。
流石に断りたかったのですが、提供者も裕福な方ではありませんでした。
それしか出せるものがなかったのでしょう。
でも貰ったほうは人の使い古した布から出来た雑巾なんて嬉しいでしょうか?
雑巾なんて自分たちが生活する中で、「これいらないな」と思った衣料品からとか作らないでしょうか。
乞食じゃないんですよ。あんまりでした。
さらに残念なのは、わざわざ量販店で現金でおむつやらティッシュやら、かさばる物ばかりを買い集めて提供してくださった方もいました。
送料の事を考えていないです。送料もばかにならない。それも現金で直接提供すれば振込手数料ぐらいで済んだんじゃないでしょうか?
しかも物品は届くのに数日かかりますが、お金ならすぐです。
筆者は良くもその自分の信念と全く異なる実務をやり遂げたものだと自分で思いました。サラリーマンと言えど、やるもんじゃないと言う反省もしました。
取材されるのが目的?
さらにおまけがあります。
被災地は困っているのですから、物資を送ると決めたら1秒でも早く届けたほうが良いに決まっています。
ところが雑誌の取材があるから数日待てと上司から言われ、さらに社員でコピー用紙などに激励のメッセージを書いて送ったらいいと言う案まで出されました。
雑誌の取材のために物資を送るのが遅れ、ダンボールの箱にはメッセージの紙が貼られました。
輸送の時に邪魔ですし、剥がれるかもしれないですし、使う方もその紙、被災地の方は捨てるに捨てられないのではないでしょうか? 大量に?
気分的に非情に重たいですよね。ないほうが貰う側は使いやすいと思うんですけど。
まだ続きがある
物資は殆ど届けられる事はありませんでした。被災地から待ったがかかったのです。
送る商品のリストを作り、被災地に知らせたのですが、オムツや紙製品は大量に各地から届いたため、送ってこられても困ると言われたのです。
まあ、当然ですよね。阪神・淡路大震災の反省を踏まえれば。
それで上司は困り果てて筆者に相談してきました。アホですよね。
もう、どうしようもないですよね。取り敢えずは自社で保管して(倉庫の経費がかかりますが)被災地から欲しいと言ってくるまで待つしかないですよ。
被災地の市町村は一つじゃないですから、いろいろな被災地に声掛けをして、運良く需要が出てくることを祈るしかありません。
筆者はその時ほど現場レベルで物事を考えられない奴は無能と言うより迷惑なのだと実感したことはありませんでした。
まとめ
被害者を救ってあげたいという気持ちは尊いものです。
でも、自分の行為が本当に相手の為になっているかどうかは、現場レベルの事を踏まえ、相手の気持になって判断しないと却って迷惑です。
今後災害が起きた時、少なくとも被災地に物資を送りつけるなんてことは気持ちだけにしときましょうね。