こんにちは。
あるいはこんばんは。
ゲームブック総合サイトの管理者です。
筆者は過去に何作か作品を書いたことがあります。
ですがつくづくクリエイターには不向きだなと。
自分は編集とも違う、営業・販売の立場だなと実感したので、その3者について書いてみようと思います。
なぜそれを書くのか……。
それはゲームブックの市場形成にはそう言う思考が重要だと考えるからです。
酷評はいち個人の感想にすぎない
精魂込めて書き上げた作品だと言うのに、酷評をされたら通常凹みます。
こちらは拙作。
ちょいとは自信のあった作品だったのですけど、このエントリ執筆時点でAmazonの評価は1つで★2つ……。
しかもレビューが記載されているわけでもありませんと。
これではどこがご満足頂けなかったのか知る由しもありません。
ここでクリエイターには二択があります。
なにくそと自分の書いた作品を見直して、文体の推敲やら構成やらパラグラフ遷移が適切か、バグはないかなどを繰り返すのがひとつ。
まあいっか。それってあなたの感想ですよねってひろゆき的に論破した気分になって何もしないのがひとつ。
ここで後者を選んでしまう自分は、作家やクリエイターではないなあと実感しました。
その辺を書きたいと思います。
無限修正
長年の経験から、自作品を幾らでも手直しするのがクリエイターなのだと考えます。
その手直しをするレベルという物が、一般人には到底理解できないレベルでの領域。
ドリカムの吉田美和さんとダチョウ倶楽部のリーダーに似たベーシストが曲作りの場面で、素人には同じにしか聴こえない、歌い方をどうするか議論するシーンを見かけたことがあります。
一見時間の無駄なんじゃないかなとも思えるほどなのですが、プロと言う立場の人たち、売れるミュージシャンという者の姿を垣間見たような気がしました。
簡単に言うと、自作品を何度でも修正や手直しを出来る人たち。
人に言われては勿論、言われなくとも自分たちで互いに作品の完成度の向上を目指し、営業や販売側から「ストップ」を何度も言われてようやく妥協するレベル。
放っておいたらいつまででもやり続けているようなマインド。
プロがプロたる所以の一つがこういう事なのではないでしょうか。
素人では想像すら不可能なレベルでの高みを意識して尽力すること。
数多ある作品の中でプロの作品がアマチュア作品と比べられ無意識に何となく選ばれるという秘密なんじゃないかなと推測します。
営業・販売
一方でこのエントリで触れたとおり、営業や販売するにあたっては非道にならざるを得ません。
またそのような立場では時間が限られているので如何に利益を上げるということが最優先です。
無限に時間を使うような考えでは、たちまち会社は潰れてしまうことでしょう。
そのためには妥協や未完であっても切り上げてリリースと言ったことをせざるを得ない場面が多々あります。
筆者は自作品を認める時でも、推敲ってあんまりやっていなかったよな……と振り返るのです。
作品執筆ではテストプレイも誰かに依頼したこともなかったし、意見を求めたり、酷評があってもそれを鑑みてPDCA回さなかったよなと。
それよりは効率の良さとか、次作を書いたほうがいいとか、そう言うことばかり思いつくし、行動してしまいます。
だから作品の質は高められないし、人気も出ないんだなあと理解出来ました。
物書きすべての人が作家になれるわけではないし、イラストや絵を描く人全てが漫画家になれるわけではないというのを深く実感したのでした。
編集の立ち位置
しかしクリエイターと営業・販売の立場の違いはあれど、共にコンテンツを推進して行く点では同じです。
ただそのままでは呉越同舟に近い状態になりかねない。
大会社で製造班は客の主張をまるまる飲み込んで営業が悪いと言うし。
営業は製造のミスも自分たちが頭を下げて回らなきゃならないから製造が悪いと言ってみたり。
そんな感じで対立しがちなクリエイターと営業・販売。
コンテンツ界隈ではその仲を取り持つのが編集の立場の方々じゃないのかなあと。
この辺は推測です。
編集はクリエイターに一番近いところにいるし、営業や販売と連携して売上や利益を追求していきますからね。
上記のようにあまりじゃ何なら内容に気遣いながらも、執筆が進むように見守ると。
3者のバランスが取れるといい感じに商売というものは回っていくのではないかなと。
まとめ
市場を上手く回していくためには例えば上記に述べたようにクリエイターと編集と営業・販売のトライアングルが形成されるとうまくいくのかなと言う仮説です。
継続して販売すると言うのは多くの立場の人達の手が必要なんだなあと思う次第です。
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