こんにちは。
あるいはこんばんは。
ゲームブック総合サイトの管理者です。
選択肢を含む物語の可能性を広めたいと常々考えております。
ただゲームブックと検索しますと懐かしい、オワコン(この単語自体オワコン)と言う声をよく聞きます。
35歳~55歳位の方には馴染みのあるコンテンツとは言えるでしょうが、他の世代の方にはまるで知られていない状況かと。
今回はその辺のことについて記述していきたいと思います。
1985年からブーム
ゲームブックとググればトップページの躍り出るのは火吹山の魔法使い。
1985年にリリースされてまたたく間にあらゆるゲームブックがリリースされました。
ただそれはブームとして終わり、1990年を迎えると殆ど新作がリリースされなくなりました。
一体何があったのでしょうか?
バブル崩壊
まず思いつくのはバブルの崩壊です。
それまでは土地神話が囁かれ、中古物件でも不動産は値上がりするものと言われ、投資の好対象となっていました。
まるでオランダのチューリップの様に。
でもバブルはいつか弾けるのです。
誰にも正確にそれがいつかは事前に知る由もないのですが。
それにより各出版社は事業縮小せざるを得なくなり、ゲームブック出版から撤退したのではないかというのが一つの仮説です。
スーパーファミコン発売
それと思わぬところで関連性があると筆者が考えているのがスーパーファミコンです。
1990年11月に発売されました。
前世代のファミリーコンピュータは、ファミコンソフトから派生したゲームブックも多数存在したほどです。
冒険ゲームブックシリーズと言われ、双葉社から80冊ほどリリースされたそうです。
ところがスーパーファミコンはハードが大幅に改善され、今までにない体験をすることができました。
また価格は25,000円、ソフトも7,8千円くらいと、ファミコンソフトより高額であったのにも関わらず売れました。
バブル崩壊後もバブルの余韻は続き、それなりに小中高生もお金があったので売れましたし、所有者の家に集まって遊んだりもしたからでしょうね。
カセット状のためソフトの貸し借りも出来たので、互いに交換しあったりすればお金は半分くらいで済む。
当時ゲームブックは500円程度で販売されており、お金のない小中学生にとってファミコンの代わりとなっていた部分がありました。
書籍でRPGが出来るという感動が薄れていったのでしょうね。
これがもう一つの仮説です。
弟切草が発売
最初のノベルゲーム、ここではサウンドノベルと呼ばれていましたが、リリースは1992年です。
ノベルゲームはソフトウェア制作会社にとっても、しっかりとしたシナリオがあれば制作費や技術の点で敷居が低く、作りやすいのが特徴でした。
弟切草シナリオライターの長坂秀佳氏は「ゲームブックがブームになった際に、ページが飛ぶだけで一つのストーリーしかないことに不満を抱いたが、もっと面白いものにする可能性を感じていた」
そうです。
(Wikipedia出典)
つまり弟切草、ノベルゲーム制作にゲームブックの分岐の概念が色濃く影響していたと考えられるのです。
ノベルゲームの定着
サウンドノベルはスパイク・チュンソフトの登録商標なので、他社はビジュアルノベルと言う表現を使っていました。
しかしビジュアルノベルはアダルトゲームと言うイメージが初期の頃はあったので、さらに別称のノベルゲームと言う表現が現れました。
実質いずれもほぼ同義です。
ノベルゲームはFateシリーズの勃興もあり、海外ではVisual novelと言う日本初のコンテンツとして一定の評価を得るまでに成長しています。
対策
以上のことかテキストベースのゲームブックを盛り上げるためには、純粋にバズるコンテンツをゲームブック内からリリース出来ればよいということがわかります。
現在新作ゲームブックリリースにはFT書房さんであったり、幻想迷宮書店さんが互いに違う角度から活動を継続しています。
筆者はまた違う角度から投稿サイトであるとか、作品紹介のカタログページを作成しました。
また、ゲームブックの表現方法を変化させた形でユーザーに届けられないか、模索している最中です。
まとめ
たまにはゲームブック総合サイトもご覧になって下さいね。
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